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横浜地方裁判所 昭和54年(ワ)128号 判決

第一事件原告兼第二事件参加被告 (以下「原告」という。) 田口セキ

〈ほか一名〉

右両名訴訟代理人弁護士 阪川蓮夫

同 高村民昭

第一事件被告兼第二事件参加被告 (以下「被告」という。) 横浜市

右代表者市長 細郷一道

右訴訟代理人弁護士 横山秀雄

第二事件参加原告(当事者参加人) (以下「参加原告」という。) 水戸誠一

右訴訟代理人弁護士 楠元一郎

主文

一  原告らの境界確定の訴え(主位的請求)を却下する。

二  原告らと被告との間において、原告らが、別紙図面(一)表示の、、、、、、の各点を順次直線で結んだ線により囲まれた範囲の土地につき、所有権を有することを確認する。

三  原告らの予備的請求中、その余の請求を棄却する。

四  参加原告の請求のうち、原告らに対し、参加原告が、別紙図面(一)表示の、、、、の各点を順次直線で結んだ線により囲まれた範囲の土地につき、所有権を有することの確認を求める訴え並びに原告ら及び被告に対し、被告が、同図面(一)表示の、、、、の各点を順次直線で結んだ線により囲まれた範囲の土地につき、所有権を有すること又は管理していることの確認を求める訴えをいずれも却下する。

五  参加原告と被告との間において、参加原告が、別紙図面(一)表示の、、、、、の各点を順次直線で結んだ線により囲まれた範囲の土地につき、所有権を有することを確認する。

六  参加原告の被告に対するその余の請求を棄却する。

七  訴訟費用は、原告らに生じた費用の三分の二と被告に生じた費用の二分の一を原告らの負担とし、被告に生じたその余の費用と参加原告に生じた費用の二分の一を被告の負担とし、原告に生じたその余の費用と参加原告に生じたその余の費用を参加原告の負担とする。

事実

第一当事者の申立て

(第一事件)

一  原告ら(請求の趣旨)

1 (主位的請求)

原告ら所有の別紙物件目録一記載の土地と右土地の北西にあって隣接する被告所有の市道との境界は、別紙図面(一)(鑑定書附図第1号求積図写しに必要な点、線分等を記入したもの)表示の、、、、⑭の各点を順次直線で結んだ線であることを確定する。

2 (予備的請求)

原告らと被告との間において、原告らが、別紙図面(一)表示の、、、、⑭、、、、、の各点を順次直線で結んだ線により囲まれた範囲の土地につき、所有権を有することを確認する。

3 訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告(請求の趣旨に対する答弁)

1 (主位的請求について)

原告ら所有の別紙物件目録一記載の土地と右土地の北西にあって隣接する被告の管理にかかる横浜市道との境界は、別紙図面(一)表示の、、、の各点を順次直線で結んだ線であることを確定する。

仮に、右のとおり認められない場合には、右境界は、同図面(一)表示の、、、、の各点を順次直線で結んだ線であることを確定する。

2 (予備的請求について)

原告らの請求を棄却する。

3 訴訟費用は原告らの負担とする。

(第二事件)

一  参加原告(請求の趣旨)

1 参加原告と原告ら(参加被告田口セキ及び同田口昭)及び被告(参加被告横浜市)との間において、参加原告が、別紙図面(一)表示の、、、、の各点を順次直線で結んだ線により囲まれた範囲の土地につき、所有権を有することを確認する。

2 参加原告と原告ら及び被告との間において、被告が、別紙図面(一)表示の、、、、の各点を順次直線で結んだ線により囲まれた範囲の土地につき、所有権を有すること又は管理していることを確認する。

3 参加費用は原告ら及び被告の負担とする。

二  原告ら(請求の趣旨に対する答弁)

1 本案前の答弁(一の1及び2に対し)

参加原告の参加申立てをいずれも却下する。

2 本案の答弁(一の1に対し)

参加原告の請求を棄却する。

3 参加費用は参加原告の負担とする。

三  被告(請求の趣旨に対する答弁)

1 本案前の答弁(一の2に対し)

参加原告の参加申立てを却下する。

2 本案の答弁(一の1に対し)

参加原告の請求を棄却する。

3 参加費用は参加原告の負担とする。

第二当事者の主張

(第一事件)

一  原告ら(請求原因)

1 (主位的請求)

(一) 原告らは別紙物件目録一記載の土地(以下「甲地」という。)を共有しており、甲地の北西側には甲地に隣接して市道(以下「本件市道」という。)が存在する。

(二) 被告は、本件市道を所有している。

仮に、本件市道の所有者が国であったとしても、被告は市道の管理者であるにとどまらず、市道の境界確定事務の委任を受けているから、被告は甲地と本件市道との境界(以下「甲境界」という。)の確定について当事者適格を有する。

(三) 甲地は、別紙図面(一)表示の、、、⑧、⑨、⑩、⑪、⑫、⑬、⑭、、の各点(以下、別紙図面(一)に表示されている各点について、例えば同図面(一)表示の点を単に「点」というように略していう。)を順次直線で結んだ線により囲まれた範囲の土地(以下「原告ら主張甲地」という。)であり、甲境界は、、、、、⑭の各点を順次直線で結んだ線(以下「原告ら主張甲線」という。)である。

(四) 被告は、甲境界は、、、、の各点を順次直線で結んだ線である旨主張し、原告らの右(三)の主張を争っている。

(五) よって、原告らは、甲境界の確定を求める。

2 (予備的請求)

(一) 右1の(一)及び(三)のとおり。

(二) 本件市道の所有者又は管理者である被告は、甲地と別紙物件目録二記載の土地(以下「乙地」といい、甲地と併せて「本件各土地」という。)との間に幅員三・六三メートルの本件市道があり、甲境界は、、、、の各点を順次直線で結んだ線である旨主張し、原告ら主張甲地のうち、、、、、⑭、、、、、の各点を順次直線で結んだ線により囲まれた範囲の土地(以下「甲係争地」という。)の所有権を争っている。

(三) よって、原告らは、甲境界の境界確定請求について被告には当事者適格が認められないとして右境界確定の訴え(主位的請求)が却下されたときには、予備的に、被告に対し、原告が甲係争地の所有権を有することの確認を求める。

二  被告(請求原因に対する認否)

1(一) 請求原因1の(一)の事実は認める。

(二) 同(二)の事実は否認する。

本件市道は、道路法施行法五条に基づく「みなし貸付道路」であり、道路敷地は国有であり、被告は道路法一六条に基づき本件市道を管理しているものである。

(三) 同(三)の事実は否認する。

(四) 同(四)の事実は認める。

2(一) 請求原因2の(一)については右1の(一)及び(三)のとおり。

(二) 同(二)の事実は認める。ただし、被告は本件市道の管理者である。

(三) 同(三)は争う。

(第二事件)

一  参加原告(参加申立ての請求原因)

1 参加原告は乙地を所有しており、乙地の南東側には乙地に隣接して市道(本件市道)が存在する。

2 乙地は、、、、、、、の各点を順次直線で結んだ線により囲まれた範囲の土地(以下「参加原告主張乙地」という。)であり、本件市道との境界(以下「乙境界」といい、甲境界と併せて「本件各境界」という。)は、、の各点を直線で結んだ線(以下「線」という。別紙図面(一)表示の他の線分もこれに準ずる。そして、線を以下「参加原告主張乙線」という。)である。

3 被告(参加被告横浜市)は、本件市道を管理しており、本件市道の幅員は三・六三メートルであって、乙境界は、線又は線から北西側に〇・八九メートルの距離にあり、線に平行な線である旨主張し、参加原告主張乙地のうち、、、、、の各点を順次直線で結んだ線により囲まれた範囲の土地(以下「乙係争地」といい、甲係争地と併せて「本件各係争地」という。)の所有権を争っている。

4 原告ら(参加被告田口セキ及び同田口昭)は、甲地を共有しており、甲地は、、、、⑧、⑨、⑩、⑪、⑫、⑬、⑭、、の各点を順次直線で結んだ線により囲まれた範囲の土地(原告ら主張甲地)であり、甲境界は、、、、、⑭の各点を順次直線で結んだ線(原告ら主張甲線)であって、甲地の北西側に隣接する本件市道の幅員は三・六三メートルである旨主張し、乙係争地は本件市道の一部であるとして参加人の所有権を争っている。

5 しかし、前記2のとおり、本件市道は、線(参加原告主張乙線)の南東側に隣接し、その幅員は、一・八一メートルである。

6 よって、参加原告は、原告ら及び被告に対し、参加原告が乙係争地の所有権を有していること及び被告が、、、、の各点を順次直線で結んだ範囲の土地(以下「丙係争地」という。)を所有又は管理していることの確認を求めるため、当事者参加の申立てをする。

二  原告ら

1 本案前の主張

甲地と乙地とは隣接しておらず、原告らは、乙係争地が原告らの所有に属するものである旨主張して参加原告の乙係争地の所有権を争っているわけではないから、参加原告には原告らに対し乙係争地の所有権の確認を求める利益がない。

2 請求原因に対する認否

(一) 請求原因1の事実は認める。

(二) 同2の事実は知らない。

(三) 同4の事実のうち、原告らが甲地、甲境界及び本件市道について参加原告主張のとおり主張していることは認める。

(四) 同5は否認する。

(五) 同6は争う。

三  被告(請求原因に対する認否)

1 請求原因1の事実は認める。

2 同2の事実は否認する。

3 同3の事実は認める。

4 同5は否認する。

本件市道の幅員は、三・六三メートルである。

5 同6は争う。

第三証拠《省略》

理由

第一原告らの主位的請求(境界確定請求)の適否について

一  被告が本件境界確定の訴え(第一事件請求の趣旨1)について当事者適格を有するかどうかについて職権をもって判断する。

二  原告らが甲地を共有していること(請求原因1の(一))は、当事者(原告らと被告)間に争いがなく、《証拠省略》によれば、本件市道は、旧道路法一七条に基づき、大正九年四月一日以降被告の管理するものとなり、道路法施行のときから市道の用に供されていた国有地であり、道路法施行法三条によって道路法八条により路線を認定された市道とみなされ、道路法施行法五条によって被告に対し無償で貸し付けられたものとみなされたものであって、被告は道路法一六条に基づき本件市道を管理していることが認められる。

三  そこで、被告が甲地と本件市道との境界確定の訴えについて当事者適格を有するか否かについて検討するに、相隣接する係争土地につき処分権能を有しない者は、土地境界確定の訴えの当事者となりえないと解するのが相当である(最高裁昭和五五年(オ)第六二四号同五七年七月一五日第一小法廷判決・裁判集民事一三六巻五九九頁参照)から、本件市道の管理者にすぎない被告は、本件主位的請求である境界確定の訴えについて当事者適格を有しないものというべきである。

よって、被告を相手方として提起された本件境界確定の訴えは、その余の点について判断するまでもなく不適法として却下を免れない。

第二参加原告の当事者参加の申立ての適否について

一  参加原告の当事者参加の申立ての適否について職権により判断する。

二  民事訴訟法七一条の規定による当事者参加の申立ての本質は、新訴の提起であり、参加の申立ては、常に原被告双方を相手方としなければならず、当事者の一方のみを相手方とする参加の申立ては、許されないと解すべきである(最高裁昭和三九年(オ)第七九七号同四二年九月二七日大法廷判決・民集二一巻七号一九二五頁参照)から、参加の申立ては、原被告双方に対する訴えの要件を具備するものでなければならないと解するのが相当である。

本件において、参加原告は、参加被告ら(原告ら及び被告)に対し、参加原告が乙係争地を所有していること(第二事件請求の趣旨1)及び被告(参加被告横浜市)が丙係争地を所有又は管理していること(同請求の趣旨2)の確認を求めて参加の申立てをしているから、右各確認の訴えについて確認の利益が存するかどうかについて考察する。

ところで、自己の権利を否認する者に対し権利の確認を求める訴えを提起する場合において、確認の利益があるといいうるためには、被告が当該権利が自己に帰属する旨主張することによると、これを第三者の権利である旨主張することによるとを問わず、被告において原告の権利を否認する結果、原告の権利者としての地位に対する危険・不安等が現に存する場合であること、すなわち即時確定の現実的必要があること(最高裁昭和三〇年(オ)第五四五号同三五年三月一一日第二小法廷判決・民集一四巻三号四一八頁参照)及び当該確認判決を得ることが右危険・不安等を除去・解消するために必要かつ適切な手段であることを要するものと解すべきである。

三  そこで、まず、参加被告らに対し被告が丙係争地を所有又は管理していることについて確認を求める訴え(第二事件請求の趣旨2)について検討するに、参加原告は、乙係争地の所有権者としての地位に対する現実的な危険・不安を除去するため前記二の各確認の訴えを提起しているものと認められるところ、乙係争地の所有権者としての地位に対する危険・不安を除去するためには、参加原告が関係当事者との間において乙係争地の所有権を有することを確認すれば足り、それ以上に、乙係争地の南東側の隣接地である丙係争地についてそれが被告の所有又は管理するものであることについて確認を求める必要がないことは明らかである。したがって、参加被告らに対し丙係争地が被告の所有又は管理するものであることについて確認を求める訴えは、確認の利益を欠く不適法なものであり、その余の点について判断するまでもなく却下を免れないというべきである。

四  次に、参加被告らに対し参加原告が乙係争地を所有していることについて確認を求める訴え(第二事件請求の趣旨1)について検討するに、被告は、乙係争地は被告の管理している市道である旨主張し、参加原告の所有権を争っているから、被告に対し乙係争地の所有権の確認を求める訴えについて確認の利益が存することは明らかである。

しかしながら、原告らは、乙係争地は本件市道の一部である旨主張し、参加原告の所有権を争っているものの、原告らは甲地の所有者であるにすぎず、参加原告が乙係争地の所有権者としての地位に対する危険・不安を除去するためには、参加被告横浜市(被告)に対し、参加原告が乙係争地の所有権を有することの確認を求めれば足り、原告らの右主張はその障害とはならないのであって、原告らの右主張によって、参加原告の乙係争地の所有者としての地位が現実的な危険・不安にさらされているわけではない。したがって、原告らに対し参加原告が乙係争地を所有することについて確認を求める訴えは、確認の利益を欠く不適法なものであり、その余の点について判断するまでもなく却下を免れないというべきである。

五  そうすると、本件における参加原告の請求のうち、原告らに対する請求は、いずれも確認の利益を欠く不適法なものであり、本件当事者参加の申立ては、原告ら及び被告の双方に対する訴えの要件を具備していないことになるから、右申立て自体民事訴訟法七一条の当事者参加の申立てとしては不適法であるといわざるを得ない。しかしながら、参加原告の請求のうち、被告に対し乙係争地の所有権の確認を求める訴えは、独立の訴えの要件を具備しているから、これを新訴の提起と解し、原告らの本訴(第一事件の予備的請求)の口頭弁論と併合して審理し、本判決において裁判することとする(そうすると、参加原告は「昭和五四年(ワ)第一二八号事件原告」と、被告(参加被告横浜市)は「同事件被告」とそれぞれ表示すべきであるが、便宜上、そのまま表示する。)。

第三原告ら及び参加原告の被告に対する本件各係争地の所有権確認請求について

一  原告らが甲地を共有していること、甲地の北西側に甲地に隣接して本件市道が存在すること及び被告が原告らの甲係争地の所有権を争っていることについては、当事者(原告らと被告)間に争いがない。また、参加原告が乙地を所有していること、乙地の南東側に乙地に隣接して本件市道が存在すること及び被告が参加原告の乙係争地の所有権を争っていることについては、当事者(参加原告と被告)間に争いがない。

したがって、原告らの所有権確認請求の争点は、甲係争地が甲地に属するかどうか、換言すれば、甲境界がどこにあるかという点にあり、参加原告の所有権確認請求の争点は、乙係争地が乙地に属するかどうか、換言すれば、乙境界がどこにあるかという点にある。そこで、以下、これらの点について検討する。

なお、原告ら及び参加原告の右各請求は、前記第二の五のとおり、併合審理されているにすぎないが、本件各土地と本件市道との位置関係、本件各係争地の位置関係、本件市道の形状(幅員)などから、一括して検討することとする。

二  本件各土地及び本件市道の沿革等について

《証拠省略》を総合すると、次の1ないし6の各事実を認めることができ(る。)《証拠判断省略》

1  甲地は、もと横浜市保土ヶ谷区峯岡町字和田ノ上三一三一番山林五反二畝歩の一部として田口平吉の所有に属していたが、大正一三年三月一七日家督相続により田口良太郎へ、昭和三六年一月五日相続により田口泰之助へ、それぞれ所有権が移転し、その間同年の町名地番の変更により同区釜台町六六番(以下単に「釜台町六六番」という。同町の他の地番の土地についてもこれに準ずる。)となり、同年一二月五日釜台町六六番山林から、同町六五番宅地(甲地)が分筆され、同町六六番は、山林三反三畝四歩となった(以下、同町六五番分筆前の同町六六番を「旧釜台町六六番」という。)。そして、釜台町六五番及び同町六六番の各土地は、昭和四〇年一月三日相続により原告らの所有に属することとなった(なお、前記一のとおり、原告らが甲地を共有していることについては、原告らと被告との間で争いがない。)。

2  乙地は、昭和一〇年一一月二二日、東明土地商会の笠原武之丞により、横浜市保土ヶ谷区上星川町字八幡通一三二番一(以下単に「八幡通一三二番一」という。同町八幡通の他の地番の土地についてもこれに準ずる。)から分筆された宅地の一つである。すなわち、右笠原は、昭和一〇年九月二三日もと八幡通一三二番一田、同一五一番畑及び同一五二番畑など地積合計四二〇〇坪余りを買い受け、宅地造成し、昭和一〇年一一月二二日、右各土地を八幡通一三二番一宅地に合筆した上、同日、合筆後の八幡通一三二番一から、同番三(乙地)、同町五ないし七などを分筆し、松風台分譲地として販売した。

3  右分筆後の八幡通一三二番一宅地一九〇坪二合二勺は、昭和一一年三月一三日笠原から松久忠八(松久邦夫の父)へ売り渡され、昭和一七年八月八日、地目畑、地積六畝一〇歩と変更された。その間、同年六月三日国道一六号線の拡幅のため、右土地のうち南西側の右国道に面した部分一歩が、分筆の上、同人から内務省に売り渡され、八幡通一三二番一は畑六畝九歩となり、昭和三五年八月四日右の八幡通一三二番一畑から同番五三宅地が、さらに、同日同番五八宅地が、その後、昭和五九年九月一七日同番一〇〇宅地がそれぞれ分筆された(以下、国道提供部分並びに同番五三、同番五八及び同番一〇〇の分筆前の同番一を「旧八幡通一三二番一」という。)。そして、昭和三四年三月六日松久忠八の死亡により、同人から、八幡通一三二番五三畑一畝一九歩(後に宅地一六一・九八平方メートル)、同番五八畑二畝二歩(後に宅地二〇六・三八平方メートル)及び同番一〇〇畑一二八平方メートルの所有権が松久邦夫へ、同番一畑一二八平方メートルの所有権が福島清子(同人の姉)へ、それぞれ相続により移転した。

八幡通一三二番三宅地一三九坪二合(乙地)は、昭和一一年四月六日笠原から茂木シズへ、昭和二一年六月三〇日中村宏へ、さらに、昭和二六年一二月二一日参加原告へ順次売り渡され、参加原告の所有に属することとなった(なお、参加原告が乙地を所有していることについては、参加原告と被告との間で争いがない。)。

また、八幡通一三二番五宅地一一五坪六合三勺は、昭和一二年一二月九日に、同番六及び同番七の各宅地は、遅くとも昭和二二年一一月ころまでに、それぞれ笠原から宇津木龍男へ売り渡され、昭和三九年六月九日、同番六及び同番七が同番五に合筆され八幡通一三二番五宅地三〇七坪三合七勺となり、同日、同番五から同番五九ないし六五の各宅地が分筆された。そして、昭和三八年一〇月二三日、宇津木龍男の死亡により、同人から、同番五宅地一二五・一九平方メートルの所有権が宇津木一男へ、同番六四宅地一六五・二八平方メートルの所有権が宇津木明子へ、同番六五宅地一六五・二八平方メートルの所有権が栗原三恵子へ、それぞれ相続により移転し、昭和四八年一二月二四日、栗原義雄が宇津木明子から売買により同番六四宅地の所有権を取得した。

4  本件市道は、大正九年四月一日告示された一般市道であり、昭和四八年被告により作成された市道認定路線図上、路線番号「甲―一三八」と表示されているものであって、釜台町と上星川町との境にあり、その幅員は二間(三・六三メートル)である。そして、釜台町六三番一及び同町六四ないし六六番の各土地と八幡通一三二番五八、同番一、同番三、同番六四、同番六五及び同番八の各土地とは、本件市道をはさんで隣り合っており、本件市道と右の釜台町の各土地及び右の八幡通の各土地とはそれぞれ隣接している(なお、前記一のとおり、本件市道の存在及び本件市道と甲地が隣接していることについては原告らと被告との間で、本件市道の存在及び本件市道と乙地が隣接していることについては、参加原告と被告との間でそれぞれ争いがない。)。そして、本件市道並びに右の釜台町及び八幡通の各土地の位置関係及び形状は、おおよそ別紙図面(二)のとおりである。

5  原告ら主張甲地の付近(釜台町側)は、もとは山林であり、南西方向になだらかに傾斜して低くなる土地であったが、昭和四年ころまでに雛段状に整地され、丸山三造(丸山三代吉の父)が田口良太郎から原告ら主張甲地の一部を借り受け、家屋を建築しそこに居住していた。そのころ、線付近には落差があったが、なだらかであった。また、参加原告主張乙地の付近(上星川町側)は、昭和一〇年ころまでは、田畑であり、南西方向になだらかに傾斜して低くなる土地であったが、昭和一〇年ころ、前記2のとおり、東明土地商会の笠原によって雛段状に宅地造成され、遅くとも松久忠八が旧八幡通一三二番一の土地で居住を始めた昭和二四年ころまでには、宅地造成が終わっていた。右宅地造成の前後ころ、前記4の釜台町及び八幡通の各土地の間には、約〇・八ないし一・六メートルの幅員の農道(本件市道の一部)があったが、現存している道路部分(後記6参照)以外は、ほとんど道路として使用されていなかった。

また、昭和二四年ころまでに、②線上にコンクリートブロックを積み上げた高さ一メートル弱のよう壁が点まで設置され、昭和三〇年代には、参加原告によって右よう壁の上に更にコンクリートのよう壁が設置されたため、②線に四ないし五メートルの段差ができた。また、そのころ、線の一部に三ないし四メートルの段差ができた。

6  本件各土地及び本件各係争地付近の現況は、おおむね別紙図面(三)のとおりであり、①、②、③、④、⑤、、、、、、、の各点(同図面(一)表示)は、同図面(三)表示の同記号の各点にそれぞれおおよそ対応している。そして、本件市道のうち、現況も道路としての形状と機能を有している部分は同図面(三)上に赤線で表示した部分であり、本件各係争地付近においては、国道一六号線の入り口部分の⑤点から③点付近までの約二〇メートルの間、③、④、⑤の各点(同図面(一)表示)を順次直線で結んだ線の北西側に約一・六メートルの幅で一部が残っているにすぎず、線付近のうち、同図面(三)表示の「内藤」と「水戸」との間には、道路跡のような細長い土地が残っているが、そのほかの部分では前記4の釜台町の各土地と八幡通の各土地とが直接隣接するような形状になっており、右各土地の間に道路があるかどうかは判然としない状況になっている。そして、線付近のうち、同図面(三)表示の「丸山」と「水戸」との間は「丸山」側が三ないし四メートル高くなっているが、「内藤」との間は、ほとんど落差はなく、線付近は「水戸」側四ないし五メートル低く、②線付近は「水戸」側が四ないし五メートル高くなっており(前記5参照)、線のうち「水戸」と「丸山」との間並びに②線及び線部分にはよう壁がある。

以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

三  境界標識について

1  境界石について

《証拠省略》によれば、参加原告は、乙地を中村宏から買い受けた際、昭和二七年一月測量の乙地の実測平面図(以下「本件実測図」という。)の交付を受けたことが認められ、別紙図面(一)と本件実測図とを比較対照すると、線、線、線、線、②線、②線の長さ(なお、線の長さは《証拠省略》により二七・三五メートルと認められる。また、②線の長さは線の長さにおおよそ等しく、②線の長さは線と線のそれぞれの長さの和におおよそ等しい。)と右各線分に対応する本件実測図上の線分の長さとはほぼ等しく、別紙図面(一)上に表示された乙地の形状と本件実測図上に表示された乙地の形状は類似し、点は本件実測図上の「コンクリート角」と表示された○点に、点は同図上の「ウツ木」と表示された○点に、点は同図上の乙地の東端の◎点に、それぞれほぼ対応しており、昭和二七年一月ころ点に境界石があったことが認められる。そして、《証拠省略》によれば、丸山三代吉は、原告ら先代(田口良太郎又は田口泰之助)から、甲境界上に境界石を設置したということを聞いたことはなく、乙地の宅地造成の前、本件各係争地付近には、境界石はなかったことが認められ、この事実から、点の境界石を含めて本件実測図上に表示された境界石はいずれも乙地を宅地造成した際、笠原によって設置されたものと推認することができる。そして、昭和一〇年の宅地造成の前後ころ、釜台町及び八幡通の各土地の間に幅員約〇・八ないし一・六メートルの農道があったことは、前記二の5のとおりであるが、《証拠省略》によれば、昭和三九年ころまで、民間の宅地造成は被告ないし国の関与なしに行われていたことが認められ、また、《証拠省略》によれば、本件実測図は被告ないし国の立会いなしに作成されたものと認められ、これらの事実によれば、右点の境界石は被告ないし国の立会い等の関与なしに設置されたものと推認することができる。したがって、右点の境界石の存在及び本件実測図のみに依拠して本件各境界を確定することは相当でないというべきである。

なお、鑑定の結果及び検証の結果によれば、現在点及び点に境界石があることが認められる。しかし、《証拠省略》によれば、昭和二七年一月ころには、点付近に境界石はなかったことが認められ、現在点にある境界石はそれ以降に設置されたものと推認することができ、点の境界石を設置した経緯は証拠上明らかでなく、また、《証拠省略》によれば、昭和四八年四月には、甲第一号証の現況求積図(以下「本件求積図」という。)及び甲第二号証の実測図上の(ニ)点に境界石があったが、昭和五一年六月にはなくなっていたことが認められ、後記2のとおり、右の(ニ)点と点とはほぼ一致し、点と点はごく近い位置にあるから、本件実測図作成当時点にあった境界石は昭和五一年六月以前に本件求積図上の(ニ)点にあった境界石と同一であり、現在点にある境界石は、昭和五一年六月以降に新たに設置されたものと推認することができ、さらに、前記のとおり、丸山三代吉は原告ら先代から甲境界上に境界石を設置したということを聞いたことはなく、《証拠省略》によれば、原告らも点及び点に境界石を設置したことはないことが認められ、また、《証拠省略》によれば、現在点及び点にある境界石の設置には被告ないし国は関与していないことが認められ、これらの事実によれば、右各境界石は参加原告の関係者が、宅地造成後、被告らの立会いなく設置したものであると認めるのが相当であるから、現存する点及び点の境界石の存在は本件各境界の認定についての証拠として価値は低いものといわざるを得ない。また、検証の結果によれば、点には円柱様の石があることが認められるが、右石が設置された経緯は証拠上明らかでなく、右石が境界石であると認めるに足りる証拠はないから、右石の存在も本件各境界認定の証拠としての価値に乏しいというべきである。

2  「うつ木」について

本件実測図は、昭和二七年一月作成されたものであり、同図上には「ウツ木」と表示された○点があって、この点はほぼ点と対応していることは、前記1のとおりである。そして、「うつ木」が関東以東において境界木として比較的多く植えられているものであることは当裁判所に顕著であり、《証拠省略》によれば、本件各土地付近では境界に「うつ木」を植える習慣があること及び「うつ木」は昭和四八年ころ本件求積図上の(ハ)点付近に植えられていたことを認めることができ、《証拠省略》によれば、点と本件求積図上の(イ)点とは一致し、点と本件求積図上の(ニ)点とはほぼ一致することが認められ、本件求積図と別紙図面(一)とを比較対照すれば、点は本件求積図上の(ハ)点にほぼ一致することが認められるから、これらの事実から、「うつ木」は昭和二七年一月以前から点に植えられており、昭和四八年ころ点に存在していたことを推認することができる。そこで、右の「うつ木」が、どの境界の標識として植えられたものであるのかについて検討する。

まず、前記1のとおり、本件実測図上に表示された境界石はいずれも乙地を宅地造成した際、笠原が設置したものであるが、一か所のみ境界標識として木を植えるというのは不自然であるから、「うつ木」は笠原によって植えられたものではないと認められる。また、この点について、原告田口セキは、本人尋問中において、同原告らが相続した他の土地の境界には「うつ木」が現に植えられているかのような供述をするが、右供述はあいまいであり、《証拠省略》によれば、原告ら主張甲地の周辺、とくに、、及びの各点付近には「うつ木」は植えられていなかったことが認められる。これらの事実によれば、原告田口の右供述部分はこれを採用することはできず、「うつ木」を植えたのは、笠原でも原告ら先代でもないと認めるのが相当である。

そして、釜台町側(旧釜台町六六番)はもと山林であり、上星川町側(合筆前の八幡通一三二番一、同一五一番及び同一五二番等)はもと田畑であったことは、前記二の5のとおりであるから、本件市道と右の旧釜台町六六番との境界は比較的明瞭であったと認められ、また、《証拠省略》によれば、栗原義雄は、義母である宇津木ソメ(前記二の3の宇津木龍男の妻)から、宇津木龍男がもと八幡通一三二番五ないし七(現在の同番五、五九ないし六五)の土地を買い受けた際、右土地の南東側に農道があり、右土地と右農道との境界として「うつ木」が植えられていた旨の話を聞いたことがあることが認められ、これらの事実から、「うつ木」は右の八幡通の各土地と本件市道との境界を示すものとして植えられていたものと推認することができる。

以上の検討によれば、点にあった「うつ木」は、乙境界上にあり、点までは参加原告の所有する乙地であると認めるのが相当である。

四  原告らによる甲地の占有状況

《証拠省略》によれば、昭和三三年ころ、旧八幡通一三二番一の土地に居住していた松久忠八が、線上の点から約九メートルの間に、高さ一メートルのコンクリートブロックを積み上げたよう壁を設置したが、隣接地占有者の内藤から格別異議はなかったこと、その後右よう壁に接続して線上に同様のよう壁が設置されたが、それについても何ら争いはなかったこと、昭和四四年までに、③線上に同様のよう壁が設置されたが、それ以前は右線上に板の土留があったことが認められ、また、《証拠省略》によれば、原告らは、現在、、、の各点を直線で結んだ線まで占有していることが認められ、これらの事実によれば、原告らないしその先代は、遅くとも、昭和三三年ころから、の各点を直線で結んだ線から南東側を、昭和四四年ころから、、、の各点を順次直線で結んだ線から南東側を占有していたことを推認することができる。しかしながら、それ以前については、原告らの先代がどこまで占有していたのか、証拠上明らかではなく、原告らの先代がそれ以前から右各線まで占有していたことを認めるに足りる証拠はない。

また、《証拠省略》によれば、原告らは遅くとも昭和四八年ころから線から南東側を占有していることが認められるが、原告らないしその先代が、それ以前から点、点及び⑭点付近まで占有していたことを認めるに足りる証拠はない。この点について、原告田口セキは、本人尋問中において、原告らは、点にあった「うつ木」及び本件求積図上の(ニ)点にあった境界石(前記三の1参照)は甲境界の標識であるとの認識のもとに右各点付近まで占有していた旨供述するが、原告主張甲地の一部を借り受けていた丸山三代吉は、原告ら先代から、甲境界上に境界石を設置したということを聞いたことはなく、乙地の宅地造成の前、本件各係争地付近に境界石はなかったこと、点にあった境界石は、原告らないしその先代が設置したものではなく、笠原が設置したものであること及び点にあった「うつ木」が乙境界を示すものであることは、前記三の1及び2のとおりであり、これらの事実に照らすと、原告田口セキの右供述部分はこれを採用することができず、そのほかに、原告らないしその先代が、昭和四八年以前から、点、点及び⑭点付近まで占有していたことを認めるに足りる証拠はない。

五  参加原告による乙地の占有状況について

参加原告は、乙地を中村宏から買い受けた際、昭和二七年一月測量の本件実測図の交付を受けたことは、前記三の1のとおりであり、《証拠省略》によれば、乙地は、東明土地商会の笠原による分譲の際、一七五坪の宅地として売り出されたが、本件実測図上、昭和二七年一月当時の乙地の実測面積は一六〇・〇九坪(五二九・二二平方メートル)とされていたこと、しかし、本件実測図では、乙地に接続している私道の一部(、、②、の各点を順次直線で結んだ線により囲まれた範囲の土地にほぼ相当し、その実測面積は約一六・五平方メートルである。)が誤って乙地に含まれて作図されていたこと、したがって、本件実測図による乙地の実測面積は、五二九・二二平方メートルから約一六・五平方メートルを控除した約五一二・七二平方メートルとなること、参加原告主張乙地の実測面積は五二六・一六平方メートルであり、右の数値と大きくは食い違わず、右の五二六・一六平方メートルから、、、の各点を順次直線で結んだ範囲の土地の実測面積一六・三四平方メートル(ヘロンの公式により算出した。ヘロンの公式によれば、三辺の長さがa,b,cの三角形の面積Sは2s=a+b+cとすると、

となる。本件では線及び線の長さは、二・四二メートルと二七・九六メートルであり、前掲丙第四号証によれば、線の長さは三〇・〇九メートルと認められるから、

2S=2.42+27.96+30.09=60.47

となる。)を控除すると、五〇九・八二平方メートルとなり、本件実測図による乙地の実測面積(約五一二・七二平方メートル)とほぼ一致することが認められ、しかも、線、線、線、線、②線、②線の長さと右各線分に対応する本件実測図上の線分の長さがほぼ等しいことは前記三の1のとおりであり、昭和二四年ころには、②線上のよう壁の下段のブロックを積み上げた部分が点まで既に完成していたことは前記二の5のとおりであって、これらの事実によれば、参加原告は、昭和二六年一二月二一日、中村から、乙地として、、、、、、、の各点を順次直線で結んだ範囲の土地を買い受け、そのころより、右土地の占有を継続してきたことを推認することができる。

この点について、前掲証人丸山篤治は、その尋問中において、参加原告は、昭和二六、七年から三六年までの間に、線付近から北西側の市道部分の土手を崩し、右市道部分を自己の占有地とした旨供述しているが、右事実に照らすと、この供述を採用することはできない。なお、《証拠省略》によれば、参加原告が、昭和二七年ころから、占有面積を広げるため、線及び線付近の崖部分の土砂を掘削したことが認められるが、他方、《証拠省略》によれば、参加原告が掘削したのは、線及び線から南東側の土砂であること及び右崖部分は参加原告による掘削及び風雨などの自然作用によって徐々に土砂が崩れていったことが認められるから、参加原告は昭和二七年ころより、、の各点を順次直線で結んだ線まで占有していたという前記認定事実と矛盾しない。

六  実測面積と公簿面積との関係について

1  甲地について

《証拠省略》によれば、釜台町六五番(甲地)及び同町六六番の公簿面積は一八七一・八〇平方メートルと三二八五平方メートルであり、その合計は五一五六・八平方メートルであること、原告ら主張甲地及び釜台町六六番として原告らが占有している土地の実測面積は一八九一・五一平方メートルと四六六〇・九三平方メートルであり、その合計は六五五二・四四平方メートルであることが認められる。ところで、前記二の1のとおり、甲地は、旧釜台町六六番から分筆された土地であるから、甲地及び釜台町六六番の土地を一体のものとして、すなわち旧釜台町六六番の土地について公簿面積と実測面積とを比較対照すべきである。

そうすると、旧釜台町六六番の土地の縄伸び率は、一・二七(六五五二・四四÷五一五六・八)となるが、仮に、乙境界が、線であり、本件市道の全部が、原告らが釜台町六五番及び同町六六番(旧釜台町六六番)として占有している部分に含まれているとしても、《証拠省略》によれば、本件市道と旧釜台町六六番との境界の長さは、おおよそ一一四メートルであることが認められ、原告らの占有部分のうち本件市道部分の面積は約四一五平方メートル(一一四メートル×三・六三メートル)となるから、旧釜台町六六番の土地の縄伸び率は、約一・一九(((六五五二・四四-四一五))÷五一五六・八)となる。

2  乙地について

《証拠省略》によれば、乙地の公簿面積は四六〇・一六平方メートルであることが認められ、参加原告主張乙地の実測面積が五二六・一六平方メートルであることは前記五のとおりであるから、乙地の縄伸び率は、一・一四(五二六・一六÷四六〇・一六)となる。また、乙境界が、、の各点を順次直線で結んだ線であり、乙地が、、、、、、、の各点を順次直線で結んだ線により囲まれた範囲の土地であるとすると、乙地の実測面積は五〇九・八二平方メートルとなることは前記五のとおりであり、乙地の縄伸び率は一・一〇(五〇九・八二÷四六〇・一六)となる。そして、仮に、原告ら主張のとおり、甲境界が原告ら主張甲線(、、、、⑭の各点を順次直線で結んだ線)であり、本件市道が右線の北西側にあるとすると、《証拠省略》によれば、線の長さは、三〇・二四メートルであること、、、、の各点を順次直線で結んだ線により囲まれた範囲の土地の面積は三・四三平方メートル(五二九・五〇-五二六・一六)(ただし、この数値については、若干の誤差がある。)であることが認められ、参加原告主張乙地に含まれる本件市道部分の面積は約一〇六平方メートル(三〇・二四メートル×三・六三メートル-三・三四平方メートル)となるから、乙地の縄伸び率は、約〇・九一(((五二六・一六-一〇六))÷四六〇・一六)となり、縄縮みしていることになる。

なお、前記二の2のとおり、乙地は、昭和一〇年一一月二二日に八幡通一三二番一から分筆された土地であるが、乙地と同時に分筆された八幡通一三二番五ないし七(後に一旦合筆され、その後同番五及び同番五九ないし六五に分筆された。)の土地の公簿面積が三〇七坪三合七勺(一〇一六・一〇平方メートル)であり、乙地などの分筆後の八幡通一三二番一、すなわち旧八幡通一三二番一(前記二の3のとおり、後にこの土地から、八幡通一三二番五三、同番五八及び同番一〇〇が分筆された。)の土地の公簿面積が一九〇坪二合二勺(六二八・八二平方メートル)であることは、前記二の3のとおりであるところ、《証拠省略》によれば、右の八幡通一三二番五ないし七の各土地の実測面積は合計三八三坪〇合八勺(一二六六・三八平方メートル)であり、旧八幡通一三二番一の土地の実測面積は二四三坪九合四勺九才(八〇六・四四平方メートル)であることが認められるから、縄伸び率はそれぞれ一・二四(一二六六・三八÷一〇一六・一〇)と一・二八(八〇六・四四÷六二八・八二)となり、旧八幡通一三二番一の土地に縄伸びが集中しているわけではないから、差し当たって乙地と右の旧八幡通一三二番一及び八幡通一三二番五ないし七の各土地などとを一体として考察する必要はないと考えられる。

3  右の1及び2によれば、甲境界が原告ら主張甲線であるとすると、乙地は実測面積より公簿面積が約一〇パーセント少ないことになる(約〇・九一の縄伸び)のに、旧釜台町六六番の土地は縄伸び率が一・二七となり、不合理である。これに対し、乙境界が参加原告主張乙線(線)であるとすると、仮に、本件市道が全て釜台町六五番及び同町六六番として原告らが占有している部分に含まれているとしても、なお実測面積が公簿面積より約二〇パーセント多いことになる(約一・一九の縄伸び)のであるから、甲境界を原告ら主張甲線とした場合より、実測面積と公簿面積との矛盾が少なく合理的である。そして、これは乙境界が、、の各点を順次直線で結んだ線であるとしても同様である。

七  八幡通一三二番一及び同番五八と本件市道との境界(以下「丙境界」という。)について

1  実測図について

《証拠省略》によれば、松久忠八は旧八幡通一三二番一宅地を笠原から買い受けた際、昭和一二年三月測量の右土地の実測図の交付を受けたこと、右実測図上旧八幡通一三二番一の北東境界の長さは二〇・四六間とされているが、これは②線を②点から延長した現在の八幡通一三二番一及び同番五三の北東境界の長さにほぼ等しいことが認められるから、右実測図上の旧八幡通一三二番一の土地の東端点はおおよそ点に相当することが認められる。そして、右実測図によれば、丙境界は、右東端点から南西方向に四・九〇間(八・九〇メートル)の距離にある点を通り西側に曲折していることが認められ、右実測図と別紙図面(一)とを比較対照すると、∠の角度は右実測図上の対応する角の角度におおよそ等しく、右実測図上に表示された丙境界は、点から点を通り点から西側に曲折しており、、、③、④、⑤の各点を順次直線で結んだ線の北西側にあることが認められる。

ただし、昭和三九年ころまで民間の宅地造成は被告ないし国の関与なしに行われていたことは、前記三の1のとおりであり、右各証拠によれば、右実測図は被告ないし国の立会いなしに作成されたことが認められるから、右実測図のみに依拠して丙境界を認定することは相当でないというべきである。

2  八幡通一三二番一、同番五三、同番五八及び同番一〇〇の各土地の占有状況について

《証拠省略》によれば、松久忠八が旧八幡通一三二番一の土地で居住を始めた昭和二四年までは、右土地は農地として近所の人が利用していたことが認められるが、昭和二四年ころ、②線上にあるよう壁の下段部分は、既に点まで完成していたことは、前記二の5のとおりであるから、松久忠八は、同年ころから、点まで占有していたことが認められる。また、昭和三三年ころ、松久忠八が、線上の点から約九メートルの間に、よう壁を設置したが、隣接地所有者から異議はなかったこと、その後右よう壁に接続して線上によう壁が設置されたが、それについても何ら争いはなかったこと、昭和四四年までに、③線上によう壁が設置されたが、それ以前は右線上に板の土留があったことは、前記四のとおりであるから、松久忠八ないし松久邦夫は、遅くとも昭和三三年ころから、の各点を直線で結んだ線より北西側を、昭和四四年ころから、、、の各点を順次直線で結んだ線より北西側を占有していたことを推認することができる。

しかし、前記二の6のとおり、右線の付近に本件市道の形状は現存しておらず、八幡通と釜台町の各土地が直接隣接するような形状になっていることなどから、松久は被告ないし国の立会いなしに右よう壁を設置したものと認められ、前記1の実測図上、点及び点に相当する点を見いだすことはできないから、右各点がどのように決定されたのかは証拠上明らかでない。

また、八幡通一三二番一及び同番五八の各土地と釜台町六五番、同町六四番及び同町六三番一の各土地とが本件市道をはさんで隣り合っており、本件市道と右各土地が隣接していることは、前記二の4のとおりであるところ、《証拠省略》によれば、前記二の6のとおり、本件市道は、国道一六号線から約二〇メートルの間、幅員約一・六メートルで残存しているが、右国道への出口部分の⑤点からおおよそ一五メートル付近(③点と④点との中央付近)に存する「松久荘」の表示のある門柱のため行き止まりになっていること、右門柱から更に五メートル程度本件市道と認められる通路が存するが、その部分は右「松久荘」への通路として松久邦夫が占有していること、そしてその先では本件市道が右「松久荘」の敷地である八幡通一三二番一の土地と渾然となっており、本件市道がどうなっているのかは判然としないことの各事実が認められる。

3  釜台町六四番及び同町六三番一の各土地の占有状況

《証拠省略》によれば、原告らは釜台町六四番及び同町六三番一の各土地を共有していることが認められ、本件求積図(甲第一号証)と別紙図面(一)とを比較対照すると、本件求積図上の釜台町六五番の土地の西端点は点であり、同図上の同町六四番及び同町六三番一の北西(本件市道)側境界は、ほぼ、③、④、⑤の各点を順次直線で結んだ線に一致することが認められるところ、③線上にはコンクリートブロックを積み上げたよう壁があるが、このよう壁が設置されたのは昭和四四年以前であり、その前には右線上に板の土留があったことは、前記四のとおりであり、この事実と《証拠省略》によれば、原告らは、昭和四四年以前から③線から南東側を、そして遅くとも本件求積図が作成された昭和五一年ころから③、④、⑤の各点を順次直線で結んだ線から南東側を占有していたことが認められる。しかし、それ以前の占有状況については証拠上明らかにすることができない。

4  実測面積と公簿面積との関係について

《証拠省略》によれば、釜台町六四番及び同町六三番一の各土地の実測面積は五二一・六三平方メートルと二六一・九六平方メートルであると認められ、《証拠省略》によれば、右各土地の公簿面積は五二一・三八平方メートルと二六一・九一平方メートルであると認められるから、縄伸びはほとんどない。これに対し、前記六の2のとおり、旧八幡通一三二番一の実測面積は二四三坪九合四勺九才であり、その公簿面積は一九〇坪二合二勺(六二八・八二平方メートル)であって、縄伸び率が一・二八となる。なお、旧釜台町六六番の土地の実測面積と公簿面積との関係については、前記六の1のとおりである。

したがって、、③、④、⑤の各点を順次直線で結んだ線の付近については、本件市道は、主に、右線の南東側の、原告らが釜台町六四番及び同町六三番一として占有している土地部分ではなく、右線の北西側の、松久邦夫が八幡通一三二番一及び同番五八として占有している土地部分に存すると認めるのが相当である。

5  結論

後記九の1のとおり、乙境界は、、の各点を順次直線で結んだ線であると認められ、③、④、⑤の各点を順次直線で結んだ線の北西側に約一・六メートルの幅で本件市道が一部現存していることは、前記二の6のとおりであり、これらの事実に右の1ないし3の検討結果を併せて考えると、丙境界は、点及び点を通り点から西側に曲折し、、、③、④、⑤の各点を順次直線で結んだ線より北西側にあると認めるのが相当である(別紙図面(一)表示の点線参照)。しかし、丙境界の点から先の部分を特定するに足りる証拠はなく、また、、③、④、⑤の各点を順次直線で結んだ線が本件市道と釜台町六四番及び同町六三番一の土地との境界であると認めるに足りる証拠はない。

八  八幡通一三二番六四と本件市道との境界(以下「丁境界」という。)について

《証拠省略》によれば、公図上、甲境界は釜台町六六番と甲地との境界付近では曲折しておらず、まっすぐな直線であり、丁境界は乙境界をまっすぐ延長した直線であることが認められる(別紙図面(二)参照)。他方、《証拠省略》によれば、宇津木龍男は八幡通一三二番五ないし七の宅地を笠原から買い受けた際、昭和二二年一一月測量の右各土地の実測平面図の交付を受けたこと、右実測平面図上の右各土地と乙地との境界の長さは二九・九五間(五四・四五メートル)であることが認められ、右境界の長さと①線(①、、の各点は同一直線上にある。)の長さがおおよそ等しいことなどから、右実測平面図上の南端点はおおよそ点に相当することが認められ、後記九の1のとおり、乙境界は、、の各点を順次直線で結んだ線であると認められるところ、右実測平面図上の南端点の角度に着目すると、右実測平面図上の八幡通一三二番五ないし七(現在の同番五及び同番五九ないし六五)と本件市道との境界は、線を点からまっすぐ延長した線ではなく、点から北西側に曲折していることが認められる。

そして、本件求積図上の(ハ)点及び(ニ)点が別紙図面(一)上の点及び点にほぼ一致することは、前記三の2のとおりであり、点と点はごく近い位置にあるから、《証拠省略》によれば、線をまっすぐに点から延長した線が丁境界であるとすると、本件市道は原告らが釜台町六六番として占有している土地に大幅に食い込み、八幡通一三二番六四、釜台町六六番の各土地の実測面積と公簿面積との関係、本件市道の現存部分(前記二の6)との接続関係などにおいて不合理なこととなる。

したがって、丁境界は、線(乙境界)を点から延長した直線より北西側にあるものと認めるのが相当であるが、丁境界の位置を特定するに足りる証拠はない。

九  公図について

乙境界は、、の各点を順次直線で結んだ線であり、乙地は、、、、、、、の各点を順次直線で結んだ線により囲まれた範囲の土地であるとすると、《証拠省略》によれば、公図上の乙境界及び乙地全体の形状に類似することが認められる。これに対し、原告ら主張甲線及び同甲地の形状は公図上の甲境界及び甲地全体の形状と大きく食い違っていることが認められる。

一〇  結論

1  参加原告の被告に対する請求

以上の検討結果、すなわち、点にあった「うつ木」は乙境界の標識であること(前記三の2)、参加原告は昭和二七年ころから、、の各点を順次直線で結んだ線までを乙地として占有していること(前記五)、乙境界が右線であるとすると、乙地及び旧釜台町六六番の土地の実測面積と公簿面積との矛盾が少なく(前記六)、乙地及び乙境界の形状が公図上のそれと類似すること(前記九)などから、乙境界は、、の各点を順次直線で結んだ線であり、乙地は、、、、、、、の各点を順次直線で結んだ線により囲まれた範囲の土地であると認めるのが相当である。したがって、乙係争地のうち、、、、、、の各点を順次直線で結んだ線により囲まれた範囲の土地は乙地の一部であり、参加原告の所有に属するものと認められる。

2  原告らの被告に対する請求

前記二の4のとおり、本件市道の幅員は三・六三メートルであって、乙境界は、、の各点を順次直線で結んだ線であることは右1のとおりであり、丙境界は、点及び点を通り点から西側に曲折しているが、その先の部分は証拠上特定できないことは、前記七の5のとおりであり、また、丁境界は、線(乙境界)を点から延長した直線より北西側にあるが、丁境界の位置は証拠上特定できないことは、前記八のとおりである。これらの事実によれば、、、、の各点を順次直線で結んだ線から三・六三メートルの距離にある線、すなわち、、、の各点を順次直線で結んだ線が甲境界の一部であると認めるのが相当である(なお、本件市道の幅員が三・六三メートルであることを厳密に考えると、本件市道の曲折部分では、本件市道と隣接地との境界の一方は円弧状になるはずであるが、《証拠省略》によれば、公図上本件市道の曲折部分は円弧状になっていないことが認められ、誤差もわずかであると考えられるから、この点は考慮しないこととする。)。また、甲境界の点から先の部分については、証拠上その位置を特定することはできないが、少なくとも線をから延長した直線から南東側は甲地の一部であると認められる。そうすると、甲係争地のうち、少なくとも、、、、、、の各点を順次直線で結んだ線により囲まれた範囲の土地は甲地の一部であると認められ(なお、点と点との位置関係は明らかではないが、この点は右認定の障害とならない。)、この認定は、前記四の原告らの甲地の占有状況等と矛盾するものではない。

しかし、甲境界の点から先の部分については、それが点及び点より北西側にあることは認められるが、証拠上その位置を特定することができないから、、、、、、、の各点を順次直線で結んだ線により囲まれた範囲の土地のうち一部は、甲地の一部であると認められるが、証拠上その範囲を特定することはできない。

したがって、甲係争地のうち、少なくとも、、、、、、の各点を順次直線で結んだ線により囲まれた範囲の土地は甲地の一部であり、原告らの所有に属するものと認められる。

第四結論

以上の次第であって、原告らの境界確定の訴え(第一事件請求の趣旨1)は当事者適格を欠くからこれを不適法として却下し、所有権確認請求(同2)は、原告らと被告との間において、原告らが、、、、、、の各点を順次直線で結んだ線により囲まれた範囲の土地につき所有権を有することの確認を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却することとし、参加原告の請求(第二事件請求の趣旨)のうち、原告らに対し参加原告が乙係争地の所有権を有することの確認を求める訴え並びに原告ら及び被告に対し被告が丙係争地の所有権を有すること又は丙係争地を管理していることの確認を求める訴えはいずれも確認の利益を欠くからこれを不適法として却下し、被告に対し参加原告が乙係争地の所有権を有することの確認を求める請求は、参加原告と被告との間において、参加原告が、、、、、の各点を順次直線で結んだ線により囲まれた範囲の土地につき所有権を有することの確認を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九二条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 鎌田泰輝 裁判官 雨宮則夫 片山昭人)

〈以下省略〉

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